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2011年2月1日火曜日

クラマタ&ソットサス展。

http://www.2121designsight.jp/program/krst/ 

ミニヨンさんのはからいでちょっと早めに見せて頂きました。いやあ緊張した。 
K上さんも、ほんとうにありがとうございました。恐縮です、東京だ。 

今日ミニヨンさんにこの頃の時代背景を説明しながら考えたこと。 
クラマタさんが活躍していたころはポストモダンとかメンフィスとか含めて全然わからなかった。 
それまでの機能的な発達進化をしていたデザインが、いきなり夢を語り出したのだ。それもカラーアルマイト、アクリルとかメッキされたラス網とか、ぶっきらぼうにカットされたパイプの組み合わせで。ミスブランチとかなんでバラの造花が封入された椅子にみんな絶賛するのか(ミスブランチが出てくる小説はなんだっけ?あれ読めばわかるのか)三保やガラスさんと想像力vs実現力のガチ勝負。 
応援してくれる人がいるからってこんな使えない家具なんでつくるねん。アートなのかデザインなのかコレクターズアイテムなのか?
実用という理由はない、でも作ったのだ、実体化したのだ。それがすごい。何がそのときにあったのか。

今みたら、以降のデザインに影響を与えたディテール満載。わからない、なんでやねん、こんな使えない家具は何だと思いつつも確実に沁みていた。自分の脳にアーカイブされていた。 

それを踏まえてスタルク、深沢さんを通して見ると、やっぱりすごい統合力だな。 

ソットサスのガラスのオブジェのサイズにも驚いた。やっぱ器のデカイひとだ。 
うん、懐かしい以上のものを感じた。今見ておけって感じだ。 
なんかまだ日本語が消化できてないけど、とにかく書いておきます。

2010年7月2日金曜日

ルーシーとハンス

ハンス・コパー展。
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/10/100626/index.html 
http://www.axisjiku.com/jp/2010/06/30/「ハンス・コパー展ーー20世紀陶芸の革新」開催中/
ルーシー・リーさんと協働してたひと。 
ろくろでひいたカタチを複数組み合わせて作られたちょっとくせのあるカタチ。タイルや大きい陶器の建材的な作品で名をなしたそうです。 
ルーシーが【弥生土器的な】使う器の美しさに対してハンスは【縄文土器】的な情感造形な器、ちょっと岡本太郎ぽい。くせがあるなあ、と思ってみているんだけど、だんだん「ああでもこのカタチにしか出せない美しさかもなあ」と思えてくる。 
でも例えば若い学生がこのカタチのスケッチを描いたら「うーんちょっと要素が真正面でぶつかりあいやなあ」って言っちゃうかも。 
見方によっては「"カタチ"に対する男子と女子のアプローチの違い」なのかも。欲しいと思わせる、その背景の心の動きが違う。ヒトによってはルーシーの作品のほうが「作品ぽくない、道具っぽいこなれ方、キャッチーすぎる、すりよりすぎる」という評価かも。ハンスの方は男子が車やバイクのパーツに萌える気持ちに近いかな。
アートとしての自由さ、というには純粋造形すぎるし。陶器の60年代の彫刻って感じかな。見たことあるようなないような。石彫なら似た感じの印象の作風のヒトいるかな。


天井がやや低くて密室感があって、作品の間隔が狭めなのがちょっともったいない。もっと自然光の窓辺で見てみたいな。旧兵庫県立近代美術館の1Fみたいな場所で。有機ELとか接地面からの極小LEDスポットとか照明が実験的だったが、なんとなーく地方の美術館のような薄暗いもやっとした照明。目にはやさしい。 有機ELは照度が増した気がする。前ってほんとに暗くして黒バックじゃないと光ってるってわかりにくかったもの。あいかわらずピンクっぽいけどね。


アタマの余裕があったら久しぶりにパナのショールームを見たかったけど、今回はやめた。

2010年6月15日火曜日

コクーン歌舞伎

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_10_kabuki.html
串田和美すごい。半端なじじいじゃないな。農民ラップだもん。


領民の年貢に苦しむ窮状を殿様さらに公方様に直訴する地主の話。原作では公方様が受け取った、という描写らしいが、この歌舞伎では受け取って「よくぞ知らせてくれた、わしも領民のことを第一にまつりごとを行うぞ」と殿は言ったあげくに、その後で大臣にぐちぐち言われて180度翻す、そんなことは知らずに「殿はわかってくれた!」と喜ぶ地主。というすごーくオトナな展開。で、地主一家嫁コドモ一家処刑、でうかばれないじゃん!と芝居を見ていた農民が怒り出す。


土を盛った台を動かして場面展開、土が農民のリアリティを出してる。七の助が演じた「外の世界が知りたい」と村を飛び出したムスメさんが哀しい。


チケットがとりにくいそうだから、チャンスがあれば是非。串田和美が元気なウチにどうぞ。

2010年5月17日月曜日

すてきなあなたに

最近近所の図書館に行ったりしてまして。便利ですね。 

すてきなあなたに  

というコラムは"暮らしの手帖"に連載されてたんだっけ? 
実家にいた頃、学生の頃から読むのが好きで。(母は定期購読はしてないが、何冊かあった)なんかこう丁寧に暮らしているヒトの文章だな。全然それが自分に反映されてないのは問題だが。 で、そのシリーズが図書館には揃っているので、しばらく借りてちょっとずつ読もうと思ってます。amazonで調べたら文庫化もされてないし、絶版なのかな、もったいない。 普通の暮らしのなかの文章だけど、あまり時代感も反映されてなくて、普遍的な気配りのよい匂いがする。

これ男子マインドとは真逆かも知れないが、このストイックさは「硬派ストイック女子」て感じもあるかも。

お勤め時代のペースとは対極の暮らしのペースなので、読むのを控えてたんだけど、今なら読んでもいいだろう



**
読み出して愕然としたのだが、どうも私の美意識とか価値観に母経由/直接で影響を与えていたみたいだ、この本。
ページの上に描かれているペン書きの花森安治さんの絵も、タイトルの万年筆で書かれた文字も。「すてきなファッション」の色合わせや趣味も、落ち着いたオトナっぽいポジティブな文章も。なんだかババ臭いんだけどね。
この頃の女の人って普通の暮らしでも何か理想とする姿をイメージしながら毎日過ごしていたのか。
**
そうか以前よりも「ずーっと読んでいて退屈しない」のなんでかなあと思ったら、著者が書いた年齢と今の私の年齢がほぼ同じだからだ。学生の頃読んだときは、内容が日々の生活なので、さすがにだんだん飽きてきてたんだけど。ほお。

2010年4月3日土曜日

読了レビュー100403

犬と鬼


環境自然破壊だけじゃなくて官僚がだらしなく仕事をしているうちに収拾がつかなくなった日本、日本は教育じゃなくて調教、とかもう迷走っぷりを明らかにしている。そして読んでる自分も「ええ!知らなかった」じゃなく、「ああ、やっぱりそうだったのか。自分が感じたことは見当違いじゃなかった」という感覚。読んでる間はつらい、苦しい。胸が詰まる。
他に読んだヒトに聞いても同様の反応。一方アメリカにもフランスにもイギリスにも同様の変なことってあるんだろう。


さっき「無縁死」のテレビ番組で共感を得たのが30-40歳代ということで、それも「自分ひとりが感じる不安じゃなかったのが安心した」という心の動きが多かったらしい。なんかそれに似てる。
文明が豊かになってもいろいろと問題は多い。

2010年3月8日月曜日

読了レビュー100308

知の構築とその呪縛


ふとABC六本木で平積みされていて購入、きっと有名な著者なんだと思うが。パラパラと見ると超難解そうで、読んでいても難解印象なんだが、引用直後の「著者の自分の言葉/例えで言い換え」が実に的確で、私は読みやすかった。言い切っちゃう潔さがキレてていい。 

常識を世界の"略画"とみるなら自然科学は世界の"密画"化の構築、だけれど"密画化"の過程で、主観的描写(色や印象など)を排除した客観的描写のみを抽出しようとしたことが、世界を生きて流れていない"死物"として扱う袋小路への道に迷い込んでしまった。 というのが主な内容。 

なんでもかんでも原子とかのツブツブまで微細化することだけが本質に近づくんか?そもそもガリレオさんが偉大すぎて以後のみんな一斉にそれに従った(反論もあったがガリレオさんにかなわず)んで近代科学って邁進したけど、ほんまにそれでええのん?だいたい客観的な観察といっても観察者の主観が入ってるでしょ。という論旨。

○p119:人間や事物を「数字で表す」ことが何か没個性的に感じられるのは、その数字が「つまらぬ」性質の表現であって、個性的な「つまる」性質の表現ではない、ということからだけである。人柄だとか、美しさ、感動、悲しさ、なるほどこれらを数量的に表現することは不可能に思える。だがほかにどんな表現があるのか。何もないではないか。 

○p221:感覚的性質が十人十色で状況次第であるから、だからそれは「物」自身の性質ではなくで主観的印象である、と考えるのもまた誤解である。・・・十人十色であるということそのことがその当の事物自身の性質であっても少しもおかしくないのである。

上記引用のあたりは「デザインの効果を数量的に表現しろ」と言われて窮するあたりの答えのヒントになりそう(ならないかも、なんせ哲学だし。この質問が出るのはだいたい経済効果な見地だから)。 
物理学と哲学って隣り合わせなんだな。物理の探求の前提条件の確認が哲学なのか。 

先日茂木健一郎のクオリアな本を読んで「うーん脳のどこに電気反応があっても、それが赤いバラと感じたり、ましてやきれいだと感じる仕組みには、このアプローチでは近づけないんじゃないか」と思って、少々がっかりしたのだが、この先生スタンス(略画世界観に重ね描きした細密化)で脳科学した方が知りたいことには近づけそうな気がした。 
ま、哲学なんで高度なヘリクツみたいなんですけどね。

2010年3月3日水曜日

読了レビュー100303

「いき」の構造
はい、名著です。今まで読まずにほったらかしてました。でも自分の覚えている日本語の意味が正しいのか確認しようと思った。自分が作りたいモノはどんなものか、一言で言えるように言葉探しのために読んでみた。

大正時代の文なので難解な言い回しがあるけど、情緒的なことを流されずに並列に分析して書こうとしている姿勢は現代よりもストイックだ。例として挙げている色、柄合わせ/文例/節回しもわかる人にはツーカーの的確なんだと思う。
意気/野暮//甘み/渋み//上品/下品//派手/地味 軸の直方体の図はなるほど日本語を使う人じゃないとわからないだろう。フランス語の対応語もニュアンスがわかって面白い。冷徹に線引きしているのにデリケートだ。こういう日本語忘れていたな、と思う言葉が多々出てきた。
他2篇の「風流に関する一考察「情緒の系図」にも四面体や相関図が作られていて、なるほど。

現代の快適/スピード感/便利/ノリがいい/新しい の価値観にははまらない、普遍の情緒/美意識に気持ちが向けられる。

2010年2月4日木曜日

読了レビュー100203

●自分の仕事を作る
再読、新書のときに読んで、文庫で読み直し。文庫の方が自分の身になる気がする、もしくは自分の状況が変わっているからか。
著者が興味を持った働き方を実践している人へのインタビュー集と考察。働くとはどういうことか。
真摯な分、書いた自分が実践しないと自己矛盾に悩みそうな文章。この文章に共感すると、もう単純に「企業/組織に属して働く」ということに考え込んでしまいそう。いやみんなそれぞれ考えるべきだと言っているのだ。一語一語が正しく重い。デザインとか何か作る仕事自体が自己実現に近い面があるから、理想を掲げて近づきやすいのだろう、ある意味贅沢。でも営業でもこういう気持ちを出発点にしたら販促広告とかもっと戦略的に臨機応変になるのかも。
「もしドラ」が組織ありきで個を活かす、に対し、この本は「個を活かすために組織を作る」のスタンスのように感じた。

それにしても自己啓発系の本って自分だけじゃなかなか実現できないような気もするんだけど、小さいことから実践して、周りに影響が及ぼせる世の中なんですかね、そんな世の中だと信じたい。

2010年1月23日土曜日

読了レビュー100123

本ばかり読んでますね。実はこの数年何を読んだらいいのかわからなくて山岳ドキュメンタリーくらいしか読んでなかったのですが、堰を切ってますね。

●FREE
ベストセラー。(web上の)無料サービスでどうやってもうけるのか。0(ゼロ)の発明、クラシックな経済学の歴史から始まって現在を述べているので説得力がある。そもそも経済学ってどんな学問がよく知らなかったのがちゃんと書いてあった。ダイジェストならP322以降の巻末付録で内容が総覧できる。ビジネスモデル50は例証が挙げられている(倣ってうまくいくかはわからないし、例証に値するのか偶然短期的な現象なのかはともかく)
稀少と潤沢、という考え方はすごく混乱しがちなことを整理するワードだと思った。ま「独自の技術(稀少)で数打って当ててシェアを取れ」なんて事言われがちなんで、そことの折り合いは別途考えねば。知的財産とか著作権保護への考え方も主義じゃなくてタイミングで使い分けがよいんかしらね。
ひょっとしたらすごく従来の経済本と同じような読後感なのかもしれない、私は経済書を読んだことがあまりないのでわからないが。でも読む気になって読了したんだから、freeについて知りたいという興味にミートした、ということなんでしょな。

ところでGoogleも立ち上げ当初は小さい会社でサーバー容量も小さかっただろうし、どうやって最初の顧客を獲得したのかしら。検索アルゴリズムが独自に優れていることをどうやってアピールしたんかしら。
iPodはハードで儲けて/iTuneはサービスとして成功したけど、次期iPodってどんな仕様なのかしら、いつまでも容量だけのバージョンアップでは¥0になってしまうし。そういうとこは各自で仮説立ててね、ってスタンスですな。

2010年1月18日月曜日

読了レビュー100118

これも前から欲しかったので購入。

●考えなしの行動?

タイトルがいいよね。IDEOが直感的、本能的な普通のひとの行動、行動の痕跡を写真で記録。
アフォーダンスのきっかけになりそう。潜在意識に訴える自然発生なルール。
IDEOのエッセンスだ。

この本が書店(渋谷BOOK1st)デザインのコーナーになくて、プレゼンテーションのコーナーにあったのも興味深い。

他にもあるよね、勝手にやっちゃう行動。ティーバッグをゆする/粉砂糖を開けるときにぱたぱた振る/インスタント写真をぱたぱた振る(手で挟んで暖めた方が早く絵が出るんだけど) 自分でも考えてみよう。

2010年1月17日日曜日

読了レビュー100116

..て組織マネジメントの本に興味があるとは自分でもびっくりだ。
在職中は変な知恵をつけたくなかったので避けていた。成功事例のビジネス書には興味が持てなかったし。


●スピード・オブ・トラスト
信頼がスピードを上げコストを下げる。あたりまえだ。 

でもちゃんと分解して書いたのがこの本の価値。 
組織とかいろんなものの「あるべき姿」を語るときに、言葉の定義の確認として使える本だ。 
あと仕事での人間関係と家族との信頼を築くのを結びつけた論調は好ましいと思った。仕事とプライベートを分けるって変だもの。 
ちょっと自己啓発系みたいなのと、「率直に話す」ことのアメリカ人と日本人との差はありそうなので「そんなうまくいかんだろう日本では」というとこはあります。 



●もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
秋本康門下にまんまとやられました。萌え系イラストの表紙を含めて。 

すごく面白かった。 高校生なのにこんなに部活マネジメントに入れ込んだら勉強できんだろう、というのはともかく。
もやーとした長年の謎に答えてくれたような気がする。単にシンプルなストーリーにまんまと乗せられているのかもしれないが、オレ。 

現実には(たとえこれが家族のような小単位だとしても)マネージャー同士のパワーバランス、個人の利害思惑、市場分析のあいまいな解釈、お金/シェアという評価、やりたいこととやれること、本音と建て前などあるんだが。 

それにしてもドラッカーというひとはこれを70年代に書いていたのか。ならもうちょっと常識になっていてほしかったな。全然知らなかった。単純に経営論に興味が湧いた、それはすごい。