2010年9月14日火曜日

お手伝うよろこび

なんつーかさ、デザイナーがマエストロ気取りで偉そうにできる世の中って20年前に終わってると思うんだわ。つーかたかだか100年くらいしか歴史が無い職業だし。
デザイナーって直接最終商品が作れる訳じゃないじゃん。まあ形を決めたり版下作ったり色指示したりはするけどさ。それ手配するのは別のヒト。ろくろも回せないし、紙も折れないし。同じ手順の再現するとすぐモチが落ちるし。
「手に職」ってほどの職能があるとしたら
・なぜなに を堂々と質問してるうちにモノの本質とか課題のコアにたどり着く
・まず絵に描いてみんなのイメージが揃ってるのかずれてるのか確認する
・自分の美意識で善し悪しを判断できる図太い職業
ってとこじゃん。


お手伝いレベルの気持ちで接したらイイ場合と、がつんと世界観を語って造形するべき場合と、期待されてるものを察知して使い分けれるのがいいんじゃないかしら。


なんかの縁で巡り会って仕事できて、その道でずっと生きてきて考えてきたヒトに、ぽっと新しいヒラメキの火花を与えられたり、共感しあったりできるだけで嬉しいもんなんだわ。だから何もやらないで「えーそれ変ですよ」って言わないで「んーまず描くかなんか作ってみますわ」って言うようにしようって心がけてる。でやってみたら「なあんだ意外とアリじゃん」てこと多いんだわさ。

2010年9月9日木曜日

もののありよう/物語/共感

今週はギフトショー/stokkist/DEPT/銀座手仕事直売所。ものつくり~売り手につなぐイベントウィーク。
http://www.giftshow.co.jp/tigs/70tigsinvitation/index.htm
http://www.deptokyo.com/
http://www.forstockists.jp/
http://www.matsuya.com/ginza/topics/100825e_chokubai/index.html


ギフトショーはライフスタイルショーや文具ショーに大手企業が発表を移したとかで、妙に洋服とか健康器具とか鉱物標本とか多くて、また印象が変わった。クラフトフェア、デザイナーズフェアのコーナーしかほんと見てない。
pearちゃん、moomamaさんのゆうりんがまさに凛としていた。初めは「おりんてなんじゃい」と思っていたが、生活の中で鈴を鳴らす、鈴で呼び掛けるって古臭くて現実味がないかと思ってたけど、ネット経由/電話 と 直に会う の間みたいだ、ぐるっと回ってありかも。音がきれい。確かに。譜が読めなくても楽器ができなくても音を楽しむ。見ててもつるっとしていて写真より質感が強い。金属の鏡面、色、ヘマタイトの深みとつや。


stokkistを見に行く、去年は「なんだかアパレル由来の雑貨ってムードはあるけど自分に近くないなあ」と思っていた。なんかね、ブレードランナーでレプリカントが古い写真を集める=自分の由来、歴史を作ろうとする、それに似てる感じの違和感。作り手の念がこもっていて、使い手の念をこめる余地がない、でもその作り手はたかだか若者数人程度なので、どこか今しか見てない浮いた洒脱感の見える素朴さ、慎ましさ。
でもね、それは自分にかつてあったんだよ。古着とか高架下で古い道具を買ったりして、同じだと思う。それが一人でこっそりやっていたつもりだったのが、25年経ったら結構な流れになってしまった。でもその歴史は本当に自分の生活に寄り添うのかはわからない。黒ずみのある白の古びた雰囲気の陶器は絵のように存在感はあるけど、日常の道具として日々食べるものをなんでも受け入れてくれるかはわからない。受け入れてくれて、それがやがて個人のテイストになっていくのかもしれない。
青森の刺子をバッグやクルミボタンにしていた人、私がやろうとしているアプローチに似ている。色合わせを変えて、柄を変えて、使いやすいバッグの縁飾りにアレンジ。そうなんだよ、日本の工芸、それだけですごく今風になるんだ。でも今風になったらブームとしてあっという間に消費される心配はないのか? 伝統の街の作る人に「変える勇気」を与えられるのだから意義はあるし、すでに伝統という物語があるのだからうまく売り手と結び付けばあっという間に受け入れられる。
こんな気分は自分だけかと思っていたら、pちゃんも感じていたって。ううむ霊感や音感の強い人同士みたい、つい見えてしまう、でも自分だけでなくてよかった。
日月館で Yさんと偶然出会う。pちゃんのゆうりん、すごく心に響くものだったみたい、それはプロダクト、グラフィック、サイトから見えてくる静かな言いすぎないスタンス。pちゃんyさんの会話を聞いてると
「こういうことを自分から"癒し"と言ってしまうととたんに胡散臭くなるよね」あーなるほど。そこは受け手にまかせればいいのだ。
「仏具って実はすてきなインテリアグッズの箱、蝋燭立、鈴、フォトフレーム、お香。再分解して家の中の静かな時間のための道具に再構築して、それを作る技術を生かしたい」とpちゃん。ううむ、なるほど。


私は何ができるのか、何をしてるのか。pちゃんもyさんも「のりちゃんは変でいいんだよ、それを自分で変と言わないで本人真面目だからいいんだよ」と言ってくれた。たしかにブックカバーもメガネケースも「ううむ自分で作っておいてなんだが、こんなの誰か買ってくれるのかしら」と思っていたらアシストオンさんの素晴らしいサイトのせいもあってつるつると売れている。どっかに誰か変なひとたちがいるのだ。変っていうけどさ、私から見たら、「なんでこういうものが無いの?今だったらこういうの合理的じゃん」って合理的の領域まであって当然と思うから作ってるんだけど。で、こんな私をどうやって伸ばして成長させて展開したらいいのやら。こんなこといつまでも長くは続かない、気もする。

私の脳の片方では「じゃあどのショーにぴったりくるようなものを作りたいのか」と自問している一方、もう片方の脳は「なーんも考えないで作りたいと思うものを作ってみてそれから考えればよいのだ」などど無鉄砲で無根拠で大人げない衝動を探そうとしている。


2010年9月5日日曜日

藤本壮介展、他建築のはなしから

ワタリウムの藤本壮介展。石上純也と比べると面白い。同じように極小スケールのモック、空気のような雲のような存在感のない壁。紙の箱の中の植物のイメージ。外と中があいまい。
でも特定の形を探そうとしている。入れ子の形、形を作ることでネガの形として存在する空気の形。階段状の空間。


今日建築やっている人に聞いたら「でもトーキョーアパートメントは施主がよく許したなあという家だわ、実際に建ったのを見たら」と言っていた。


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今日ハナエモリビルが解体がはじまっているのを見た。ガラスがはずされている。丹下健三さんの建築だったそうで、例によって使い勝手もメンテナンスも考えてない建築だったそうだ。70年代万博高度経済成長時代のシンボルがなくなっていく。B1Fのアンティーク街はなんだか天井が低くてハコ自体はそっけなかったな。あの頃の建物はもうほとんど残ってないみたい、SHU UEMURAも建て替えてるし。


今の表参道のシンボルはTod's?ヒルズ?CHANEL?VUITTON?GAPのビルはあっという間になくなってしまった。


跡地には何が建つのだろう。アンティーク小物の商店街は戻ってきて欲しい。ただの「最新流行の買える街」じゃない表参道であってほしいな。そういえば学生のころ表参道で鉱石の標本を買った、あの店は同殉会アパートに入っていたのだろうか。


いっそバイオ技術でむんむん草いきれな農場とか屋上プールとか地下に掘ってひんやりとかそんなことしてほしいもんだ。(地価に見合わないがな)


プロダクトデザインよりもやりたい放題な建築界。大衆がお金を払うのではなく、施主一人納得させればいいから、無茶な夢が実体化するのかな。ヨーロッパの数百年の建築に憧れつつ、30年で消費されるコンクリート建築を建てる日本。


いっそ構築的なテント建築なんて発想はないのかな。骨格は鉄骨で8F程度ならいけるだろう。外壁は雨風避けと割り切って、布で作る。東京ドームができてるから。あ、空気を送り続けないとあかんのかしら。