http://www.2121designsight.jp/id/index.html
正直「えー佐藤さんの見せ方スタイル、たいがい流行ったし飽きちゃうじゃないかな」と思って行ったんだけど、さらに複雑な仕掛けだった。くやしい面白い。
指を台に押しつけると指紋が画面に写し取られて、ちっちゃい魚みたいにうようよ泳いで、他の指紋と一緒に群れを作るの。で、もう一度指を押しつけると群れの中からしゅーっとまっすぐ自分の元に指紋が泳いでくる。すごーく愛おしくてかわいいよ。と同時に「これって簡単に指紋押捺しちゃうな」と思った。
穴から覗くと、覗いたところの画像が大きくドアに映される、覗いてる本人は「今何を見てるか他の人にばれてる」とは思ってないから、それがわかったときすごくばつが悪い。普通の視線入力技術の応用なんだけど。
虹彩を撮るのも、簡単に01の2048個くらいの数字に置き換えられる、そしてこれまで登録された来場者の中からあっという間に識別される。技術すごいなーと思ったところで、さらにその01の羅列を少しずつ消していく。「まだあなたです・・あなたです・・もうあなたではありません」と言われたときのなんとも寂しい感じ。
技術の正確さと個人的な微妙な心の動きとか同時に来て、初めてだった、あんな気分。すーっと薄気味悪い、怪談を読み終わったみたいな感じ。
東京の展示は明快ですっきりわかりやすいけど、おかげで"疑問を残す展示"への免疫が減ったかも、とこないだ京都で「生存のエシックス」展を見たとき思ったんだけど。すっきりさせるだけでなく、感情までコントロールされたみたい、佐藤雅彦やるなあ。
ENEOS太陽光発電アートコンペ
http://www.eneos-art.jp/result.html
eneos賞に入賞しました。
アートのコンペと言ってる割にパネルサイズや角度の条件がきびしくて、どんなものを要求してるねんと思っていたら、ふと思いついたので出してみた。
ぎょーかいの人はアートとデザインの定義って論じてたりするけど、一般の人ってあんまりそういう境界は気にして無くて、まあ「ストリートファニチャー」でも「インフラ」でも「装置」でもないあたりを狙ったんだろうな。
太陽電池というスタンドアローンで発電できるものをあいまいにアートと呼ぶなという気もするし、緊急用の電力供給/共有ユニット、みたいなものを提案しました。他の案もそういう位置づけのものが選ばれているようですね。
今でもときどき平地に画板が沢山並んでいるみたいな太陽発電ばたけ、みたいなものを見かけますが、これからどんなカタチになってくんでしょうかね。ラスベガスの黒ガラスのピラミッドみたいなものが沢山建つのかな?瓦が太陽電池化していくのかな?
そしてクライマーのみなさんからは「これ登れるんですよね?」あああー確かに、登れるつーのもありだったかも!自己責任でよろしく!
2時間の映画まるごと。やはりこの映画美しい。
タルコフスキー ノスタルジア
http://www.andreitarkovsky.org/films/s/Nostalghia/20224
他にもソラリスなど。
昔は美しいけど重くて寝落ちしてましたが、今なら全然見え方が違うかも。
そうかあの頃タルコフスキーが亡くなったからブームがきてたのか。
昨日は商工会議所に確定申告に向けた無料記帳指導されに行く。こちらも半年の間に湧いてきた疑問(自分のことだからね、わかりやすいよね)をまとめて、領収書と通帳記入して持っていって効率良く質問したんだけど。いやあ担当のオクサマ、おっとりしてそうで打てば響く的確な進路変更と押さえどころがわかりやすい指導。本一冊読んでもわからなかっただろうことが1時間の面談で目からウロコぼろぼろ。超快感、ボキってそういうことか!
今日は昨日植木鉢移動したときに腰痛めたっぽかったので近所のスポーツ整体の心得のある医院に行く。あっという間にレントゲン撮って、姿勢チェックして、電気びりびり15分やって、サポーターと湿布、飲み薬くれて、これから3日間は中腰禁止、同じ姿勢キープを避ける、歩いた方が楽になる、等の指導を受ける。やっぱネット見ながら自己流よりも確かだにゃ、安心。
最近デザイン以外の分野のプロと喋っている方が「なるほど!」体験が多い。当然知らないことだから伸びしろが多いんだけど。
こちらも若いときよりは自分の現状/疑問/アクションプランのリクエスト、と明確に質問できるスキルができてるんだろうけれど、相手の臨機応変さがプロらしいなあと思うし、贅沢だなあと思える。
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こういうデザインの働き方ってないんかな。いやもちろんそこそこ大口の仕事もしつつですよ。
近所のヒトが「年賀状のデザインして」「うちの改装の壁紙床材選んで」
「うちの店なんかぱっとしないんだけど、どうしたらいいかしら」「食器をお見立てして」
近所の病院みたいに最低3000円くらいで受付して、1日10人くらい相談に応じる。
お金じゃなくて桃とかもらったり、ランチごちそうになったり、夏祭りで特別待遇とかでも全然いいし。
ついでに
「デザイナーに仕事を頼みたいんだけど、どう頼んだらいいのかわからない、何を言っているのかわからない」とかの相談も受ける。
財布を握っているクライアントはデザインのことはわからない、自分とこの業界の未来予測もできない。
いいデザインなのか判断できないので好き嫌いで意固地になってしまう。美的センスのいい経営者なんてそうそういない。
仕事を頼まれたデザイナーは業界全体の現状がわからない、メーカー固有の技術の知識がない。自己実現でめいっぱい。
そのふたつをつなぐ職業、絶対ニーズはあるな。これは3000円ではいやだな。
そうかこれがデザインコンサルティングとかディレクションという職業なのかな。
http://pdweb.jp/column/c_moviti_100705.shtml
気がつくと3年目に突入してました。O谷さんの次に長期になってしまった。
あまりに論旨が混乱してると編集さんから「2号に分けたら」とか言ってもらえますが、基本的に野放しでテーマを選んで書いてます。イラストを添えてるのも私が勝手に始めた。
pdwebを読んでるヒトはきっと「製品の表面に顔を近づけてなめるように見るプロダクトオタ」だと思っているので、できるだけプロダクト起点で広がる話題、特定に寄りすぎない普遍な話、女子目線の切り口、デザイナーが共感できるような話にしようとしてます。
毎月20日頃になるとなんとなーくアタマの中でテーマを決めて、まとめはじめて、書き出したら2日でイラスト込みで書いちゃう。だから今読んだらきっと自分でも論旨が読めないとか、あーあの頃悩んでたなあという赤面ものもあるのかもしれない。
ダンナの同僚に楽しみに読んでくれてるヒトがいるらしく、mixiでもたまに更新情報するとみんなのコメントもらえて、そんなんが励みになっちょります。
まだまだ書けるかなあ。
ハンス・コパー展。
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/10/100626/index.html
http://www.axisjiku.com/jp/2010/06/30/「ハンス・コパー展ーー20世紀陶芸の革新」開催中/
ルーシー・リーさんと協働してたひと。
ろくろでひいたカタチを複数組み合わせて作られたちょっとくせのあるカタチ。タイルや大きい陶器の建材的な作品で名をなしたそうです。
ルーシーが【弥生土器的な】使う器の美しさに対してハンスは【縄文土器】的な情感造形な器、ちょっと岡本太郎ぽい。くせがあるなあ、と思ってみているんだけど、だんだん「ああでもこのカタチにしか出せない美しさかもなあ」と思えてくる。
でも例えば若い学生がこのカタチのスケッチを描いたら「うーんちょっと要素が真正面でぶつかりあいやなあ」って言っちゃうかも。
見方によっては「"カタチ"に対する男子と女子のアプローチの違い」なのかも。欲しいと思わせる、その背景の心の動きが違う。ヒトによってはルーシーの作品のほうが「作品ぽくない、道具っぽいこなれ方、キャッチーすぎる、すりよりすぎる」という評価かも。ハンスの方は男子が車やバイクのパーツに萌える気持ちに近いかな。
アートとしての自由さ、というには純粋造形すぎるし。陶器の60年代の彫刻って感じかな。見たことあるようなないような。石彫なら似た感じの印象の作風のヒトいるかな。
天井がやや低くて密室感があって、作品の間隔が狭めなのがちょっともったいない。もっと自然光の窓辺で見てみたいな。旧兵庫県立近代美術館の1Fみたいな場所で。有機ELとか接地面からの極小LEDスポットとか照明が実験的だったが、なんとなーく地方の美術館のような薄暗いもやっとした照明。目にはやさしい。 有機ELは照度が増した気がする。前ってほんとに暗くして黒バックじゃないと光ってるってわかりにくかったもの。あいかわらずピンクっぽいけどね。
アタマの余裕があったら久しぶりにパナのショールームを見たかったけど、今回はやめた。