2010年3月25日木曜日

吾唯足知 

われただ足るを知る


調べ物をしていて、偶然引っかかった言葉。ひょっとしたら以前お目にかかっていた言葉だが。
タイミングが良すぎて運命的なものを感じるくらいだ。
京都・竜安寺にある蹲(つくばい)に刻まれている言葉。
足るを知れ、ってまさに今の状況にはまる。キャッチーですらある、文字の□を共有させて書くなんてところも。
こないだの犬と鬼 と言い、21世紀になっても昔の人の言葉で収まることばかり

足りてるとこばかり重箱の隅をつついてこねくり回し、難しいところは手薄。自分も世間も、まったくねえ。

2010年3月24日水曜日

主婦という職業

今テレビでハタまりこさんという主婦の生活を唄うヒトの特集をやってる。
普通の奥さんが「主婦の仕事に100点満点はない、結婚当初はオットに主婦失格って言われたりした」とか言ってる。


100点満点の主婦業って何?モデルルームのように綺麗な家でフードコーディネイターが作ったみたいな献立?そんなの各家庭でだんだん決まっていくことなんじゃないの?
主婦失格なんて言われた?自分がやってもいないのに?"まず一週間やってみてよ、自分で食べたお菓子の袋も捨てないくせに"って言わないんだ。
こういうことだけじゃなくて家計の管理とかコドモの将来とかもっとディープなことしてるんだよね。これって要は事業計画とか人材育成と同じだよね。家族も現状維持以上、右肩上がりを目指すんだよね。


でも奥さんはだんなさまのことが好き、つまり愛情表現として主婦業やってるらしい。
ネット通販とか発達してるのにいまだにバーゲンの歌を嬉々として歌っている。レジャーとしてのバーゲンとしても、ほんと変わらないんだな。安売りを追いかけお喋りをして、オットやコドモを叱咤激励。シンプルだから気高く見える、みんなで守れおかあちゃん像。
パートとかで働きに行った先での気持ちは歌にしない。それはビジネスな気持ちの動きだから。愛ではないお金を稼ぐ仕事への気持ちとか、競争や嫉妬、羨望とか取り巻く要素が複雑になるから。


そもそも1950年代のアメリカの家電のCMとかで「重労働だった洗濯がこれ一台で簡単!奥様は楽ちん」てあったけど、そうやって楽になって、奥様はどうするんだろう、と思っていた。全自動で得た時間をどう使うのか、そこまで家電メーカーは面倒みてくれなかったんだな。
あ、そうかそこでおうちの生活のクオリティを上げるのに時間を使いましょう、ってパン焼き機とかミシンとか美顔器とかリリースするのか。

2010年3月23日火曜日

生活の因数分解

幸せってなんだろう。足りてるって何だろう。分けてみた。


第一段階:権利の保障・危険が無い
倒壊の恐れがない/寒さ暑さが無い/湿っていない/不潔じゃない/水が確保できる/飢えてない
/痛かったり動けなかったりしない/暗くない


第二段階:合理性の保障
労働に不便やムダ、ムラがない、合理的だ/安定確保できる/心地よい、美味しい
/知りたいことを知ることができる/夢、目標が持てる


第三段階:負荷の少ない義務の遂行
楽しい/やる気が出る/誰かの役に立つ、適材適所/将来の不安が無い
/夢目標を実現させるためにアクションできる/誰かを思いやれるゆとりがある

base of life

身の丈で考えてみよう。BOPはまだ想像の範囲で考えてしまうので。
BOL base of our lifeとしてみた。自分の身の回りでできること、考えられること。
・ゴミにならない/リサイクルできる/リメイクしてもリサイクルできる/長く使える
・便利である/生活空間にあっても不快でない/清潔を保てる/飽きない/美しい
・ちょっと社会貢献できる/気持ちの負荷にならない/強いない、義務にしない/主義主張が強くない、さりげない
・半端なエコバッグとコンビニ袋の間になんかないのか
・手ぬぐいの便利さのように応用の利く簡便なものはないのか
・手に入れることで自然、他の生物のことを意識できるようなシンボル
・新しいデザインの提案、価値観の提案
・知恵がある、共感できる、簡単で直感的。
・無理がない、作りやすい
・アウトドア製品の知恵、台所用品の知恵、他の分野に応用したらすぐ便利になる技術

BOP

base of piramid、自分の立ち上げもままならないのだが、話題になりすぎていて、無視できない。BOPデザイン。
下手にやると植民地支配のような押しつけで、ムダなゴミを沢山出しかねない。
現地のフィールドワークをしっかりやらないとずれたアウトプットになってしまう。
ブームで終わらせるのはキケンだろう。
ほんとのBOPはデザイン以前の基本的なもの、ボーイスカウトで使うような知恵がまず必要なのかも。
紐、ガムテープ、布、毛布、ブルーシート、ナイフ、スコップ、ノコギリ、水を保存する容器、紙と鉛筆、メジャーとか。
太陽電池、濾過フィルター、シールドするコーキング、接着剤、ガンタッカー、パッキング、消毒アルコール。
そもそも水平面があるのか?
ほんとに必要なものと、転用すれば使える用途があるのか?使い終わってゴミにならない、リサイクル可能なリメイクがあるのか?下手に手が出せない、仮説での失敗は通用しない。
http://exhibition.bop-design.com/

2010年3月18日木曜日

ひとりでできるもん のつもり

オットが1週間のボルダリング(紐つけないクライミング)旅行に今朝旅だった。
twitterでできた友達とタイのタオ島に行く。私は留守番にした。4月に旅行行くし、今行っても前よりも劇的に成果が出せないかも知れないので。
実は遊び旅行で一緒に行かないのは初めてかも。twitterで通信できるかな。オットはkindleをアメリカamazonから買って、日本語注入してた、すごいな。


twitterにしても、毎日会ってるにしても、なんかヒトとコミュニケートしてるだけで何か成し遂げたような気がする。すごく心強い気がして、現代って恵まれてるなあとほんとに実感するのだが、目先の甘みに甘えないようにしなくては、オトナなんだから。

兆しか

twitterでてつたろうさんから。
エライヒトがこういうことを書いているのか。中国のデザイナーに対する危機は私も2年前から予測していたけど、エライヒトも感じているんだ。フリーとかインハウスとか関係なくみんなで全力で考えた方がいいと思う。japanデザイナーのウリはなんなのか。
http://designtope.net/today/articles/654/
あとこれも。見に行った方がいいかな。肥大化したエコデコ様式にも見える。やるならここまでやり切れということか。
http://www.boston.com/bigpicture/2010/03/shanghai_prepares_for_expo_201.html

2010年3月15日月曜日

サステナブルデザイン会議3/13感想



http://www.sustainabledesign.jp/@桑沢1Fホール
備忘録的に聞いたこと感じたことを箇条書き。以下:
●はじめに
○サステナブルデザイン会議は99年エコプロダクツ展(通産省)会場での開催がはじまり、今回で4回目。今回はtwitterなど新しい告知で「初めて聴きに来た」ヒトが多いようだ。
1st:サステナブルデザインの定義(その場では結論出ず)
2nd:日本での方向性プラン(環境サミットへアクション絵巻を提示)
3rd:具体的アクション(グリーンピース代表の方などの講演)
4th(今回):現在の再確認
○実行委員の益田さんから東大の山本先生のご紹介&山本先生から地球環境の"現状"の10分報告。先生によると
・2016年をチッピングポイントとして(最後のチャンスという意味?)現状のままでは本当に生命圏の危機が来る。2060年平均気温が4度上がるのを2度に抑えよう、というのがコペンハーゲンでの合意、これは"地球的規模で環境管理しようという"革命的意味がある。
・A:今からコントロールして気温上昇を抑えるかB:やばくなったら強制的に気温を冷却するか(すでに研究実験進行中)B案には基本的に反対です。


●アレックス・カー氏講演
日本在住30年、80年代からの日本の都市/地方開発を体感し見てきた米/英にスタンスのあるヒト。
著書「鬼と犬」の由来は韓非子の「絵を描くのに(犬猫のように)身近なものを描くのが難しい、(鬼のように)空想のおどろおどろしいものを描くのは簡単」という言葉から。この語は白須正子の家の前にもあった。
以下のことを沢山の写真で解説。
○日本は観光産業を軽く見過ぎている○日本の土木開発は25年前のまま○京都は京都が嫌いどす→日本は日本が嫌いどす○護岸工事、地方の道路工事、地方の町おこしホール(有名建築家の仕事含め)名前に"ゆめ"とか"ふれあい"とかつけた施設がいかに地元にマッチしないで唐突に「びっくりさせる」意匠であるか○古い=古くさい、新しくきれいにする=コンクリ固めを25年続けてきた日本○先進国で電線埋設をしていない(引き算の事業)のは日本だけ。ブレードランナーのような独特の面白さがなくはないが、これでいいのか?○少しの配慮で地方の景観を邪魔をしないことは可能○地方だけでなく都市のプランも魅力が無い、上海のプラン模型と日本のプラン模型との比較○現代日本の家、看板○感覚麻痺、"茹で蛙"の例え○日本本来の"なんでもない魅力。"歴史/教養/文化/知識○確かに古い家は汚くて不便で住めない、見えない部分で現代にマッチするように補強して、本来の姿に戻して快適にする○海外資本=世界基準の観光で開発されているニセコは注目。これで日本の観光施設の底上げが期待できる○こういうこと、ジャパノロジー研究のプロには"ブラックリストに載る"ことを恐れて発表できない、自分はもともとそんな会議に呼ばれてないから思い切って書いた。○でも実は国土庁内のヒトも「鬼と犬」は読んでいて、問題意識は感じているようだ、そこはまだ捨てたもんじゃなさそう。


ユーモアとシニカルで思わず笑ったり共感したり、でも悔しかった。そんなことわかってらいと思った、京都とかは抗議活動が頻繁に起きていることとか言いたかった。が、自分も写真を撮るときに無意識にコンクリや看板や電線を構図から外して見て見ぬふりをしていたので、感覚麻痺の同罪と思った。みんな〜このヒトの話を聞く機会を持つべきだぞ。日本人が後ろめたい「おかみのエライヒトが言ってるから仕方ない」と諦めて、サブカル視点で気持ちを誤魔化してることは、ちゃんと世界はお見通しだぞ。


●熊野英介氏講演
アミタ株式会社代表取締役、自分の信念を森林放牧による自然な牛乳の販売などを通して表現活動してはるヒト。
○今後はものつくりに制約条件が多くなる○石油1兆バレル=琵琶湖6杯しかない○知識/五感/抽象の体感○共感(エンパシー)○ゆたかな時間、ゆたかな関係○情報を再編集する○大局着眼小局着手:日本人は適応力は世界一、戦略無しの戦術でアクションを起こしていいんじゃないのか○現在の日本のモノは合理的、効率的。これからはもう一歩踏み込んで極めると精神が宿る、メディアになる○価値生産には知恵と助走が必要、これには固定費がかかる。でも今はweb上で上質な情報が無料で入手できる。○社会的欲求はコアコンピダンスが複数化する、一人勝ち囲い込みにならずに、いろんなヒトに参加してもらう、巻き込む○簡単に成功することは簡単に真似される、資本競争に巻き込まれる。


デザインのヒトではない、むしろ経済活動を突き詰めて考えると付加価値の元として「共感、五感、記憶」のような情緒的なキーワードになったのが説得力。言葉のラッシュ、スキンヘッドで引き締まった体躯、現場主義のわが道社長エネルギー。


●黒崎輝男氏講演
tokyo famousなIDEE、デザイナーズブロック、Rプロジェクト、自由大学、世田谷ものづくり学校のヒト。
○すべてのヒト、全てのモノはどうせ死ぬ、壊れる、いなくなる。○20年毎に立て直す伊勢神宮:壊すのを前提にした建物○ヒトと知り合うと仕事、年収をあれこれ言うのは変、どこかに所属してない"ニート"で何が悪い、自由に自信を持とう○ホームレスのヒトも知識があったり巧みに生きている。ハウスレスだがホームが無いのではない。ホームは帰る場所/ハウスは物理的な家。一方家があってもローンは残り、家に居場所の無いヒトもいる。○幸せな概念と幻想の為に一生が終わってしまうヒトも多いでしょう○数字を伸ばすことは嬉しいけど目的にしてはいけない○誰でも逃げ込める鎮守の森、逃げ込める場所を作ろう、知の逃げ場所は"いい加減"→自由大学○服も金属も石油も今の余剰分で10年すごすことができる○第二の資源が都市に眠っている:ゴミじゃない、資源である○きれいなモノを大事にしよう


なんだろう、共感できる言葉はいっぱいあるんだけど、まるっとオナカに入らない。いろんなことを沢山言いたくて繋がりがなく中途半端に感じるからかなあ。でもその気持ちの状態自体はすごく自分がなりがちなのだ。


●西村佳哲氏講演
「自分の仕事をつくる」を書いた私と同い年のヒト。
○まず「自分を生きる」で客席隣同士5分ディスカッション○サステナブルよりもいのち。持続することよりも生命力があることが大事。賢さよりも生きてる実感があることが大事。○デザインに"夢"を持ちたい。でも"デザイン"という言葉で自分が捉えたいことが捉えられなくなってきた。「いいデザイン」より「いい仕事」より"イノチ"が入っている働き。○デザインのアウトプット、お客様に触れているのは氷山の一角、下にはどーんとでかい塊がある。○【デザインすること】は三層構造。上から知識・技術/価値観・考え方/あり方、存在○情報化が進みすぎて自分が何を感じているのかわからないうちに、ヒトが考えたことが押し寄せてくる。よその情報に敏感になるより、自分の深いところのざわつきに敏感になろう○オナカにある"実感"が大事、頭にある"思考"が肥大化するとおかしくなる。オナカにある実感/欲求は自然現象、だから限界があるのは当然。○【デザインすること】の三層、特に一番底の"あり方/存在、感じていること/実感"層が上2層と剥がれてくると感情喪失、抑圧となっていく○なんのためのデザイン?なんのための力?力はただの力に過ぎない。デザイナーは愛しているモノがいっぱいある、この力で居場所が欲しい。でもこの思いが強すぎると足下をすくわれる、利用されてしまう。身の丈以上に見せるデザインはヒトのココロを壊す。○職能には価値は無い、結果がサステナビリティ。自分が本当に信じているか、愛しているか、自分の実感を大切にしているか〜自分を生きる/サステナビリティ。


今の時代に出てくるべくして出てきたヒトだ。プレゼンテクニック、というにはあまりに自分の心を削って言葉を選び表現する誠意がビンビン伝わってくる。深く深くココロを掘り下げるヒト、自分の気持ちと親和性が高くてじんじん滲みてくる。一見癒し系だが、判断はあまりにも自然の摂理のようにシビアだ。


●最後に
益田先生はカーさんと「サステナブルデザイン」てなんかしっくりこないな、という点で気があったと言っていた。【無理がある】の反対語=無理がない、の意味でサステナブルという言葉を選んだが、持続可能、というのがしっくりこない。でも無理がない=easyをあてるのもなんだしなあ。という"とてもデザイナーが集まる場でありがちな"オチがついていた。


●個人的感想
自分が感じていた【サステナブルデザインて何だろう】という疑問に4人のヒトがそれぞれ違うアプローチで講演していた。環境、エコ/経済活動として/ヒトとして【サステナブル】を考える。当たり前だが、忙しいにかまけて目を反らしたりもやっとした不整合な部分を脇に置いといたりしてしまいがち。自分の疑問が間違ってなかった、自分の感じていることは間違ってなかった。だから自分で不整合/不明瞭の部分は考えて、力としての美的センスはその表現として伸ばすこと。

2010年3月13日土曜日

そして手ぬぐいができた

限定30枚。高知の捺染やさんで作成。吸水性を確保するため、染料染めにしてます。
平安鎌倉(800年前)の絵巻にインスパイアされて
クライミング(30年の歴史のあるスポーツ)アレンジして
手描きを画像調整して(20年前から発達した画像アプリ)
twitterで盛り上がってネット経由で作成(去年じゃしてない、まさに今)
というプロセス自体がなんだか感慨深い。


詳細はhttp://moviti.com/clothing/へ。

2010年3月8日月曜日

読了レビュー100308

知の構築とその呪縛


ふとABC六本木で平積みされていて購入、きっと有名な著者なんだと思うが。パラパラと見ると超難解そうで、読んでいても難解印象なんだが、引用直後の「著者の自分の言葉/例えで言い換え」が実に的確で、私は読みやすかった。言い切っちゃう潔さがキレてていい。 

常識を世界の"略画"とみるなら自然科学は世界の"密画"化の構築、だけれど"密画化"の過程で、主観的描写(色や印象など)を排除した客観的描写のみを抽出しようとしたことが、世界を生きて流れていない"死物"として扱う袋小路への道に迷い込んでしまった。 というのが主な内容。 

なんでもかんでも原子とかのツブツブまで微細化することだけが本質に近づくんか?そもそもガリレオさんが偉大すぎて以後のみんな一斉にそれに従った(反論もあったがガリレオさんにかなわず)んで近代科学って邁進したけど、ほんまにそれでええのん?だいたい客観的な観察といっても観察者の主観が入ってるでしょ。という論旨。

○p119:人間や事物を「数字で表す」ことが何か没個性的に感じられるのは、その数字が「つまらぬ」性質の表現であって、個性的な「つまる」性質の表現ではない、ということからだけである。人柄だとか、美しさ、感動、悲しさ、なるほどこれらを数量的に表現することは不可能に思える。だがほかにどんな表現があるのか。何もないではないか。 

○p221:感覚的性質が十人十色で状況次第であるから、だからそれは「物」自身の性質ではなくで主観的印象である、と考えるのもまた誤解である。・・・十人十色であるということそのことがその当の事物自身の性質であっても少しもおかしくないのである。

上記引用のあたりは「デザインの効果を数量的に表現しろ」と言われて窮するあたりの答えのヒントになりそう(ならないかも、なんせ哲学だし。この質問が出るのはだいたい経済効果な見地だから)。 
物理学と哲学って隣り合わせなんだな。物理の探求の前提条件の確認が哲学なのか。 

先日茂木健一郎のクオリアな本を読んで「うーん脳のどこに電気反応があっても、それが赤いバラと感じたり、ましてやきれいだと感じる仕組みには、このアプローチでは近づけないんじゃないか」と思って、少々がっかりしたのだが、この先生スタンス(略画世界観に重ね描きした細密化)で脳科学した方が知りたいことには近づけそうな気がした。 
ま、哲学なんで高度なヘリクツみたいなんですけどね。

2010年3月5日金曜日

デザインってナンだ何なんだ

以下ふたつ、どっちもデザインについて今起きていること。
****************
1: 80年代に建築家のプロトタイプ家具を作っていたミネルバの見学に行って感じたこと。


最近感じているのは
若い人の中には
アノニマスじゃないテイストの強いものでも
過去のデザイン=レトロ、過ぎ去ったもの→劣っている ではない
"新しい"至上主義ではない層がいるのでは。

●80年代ってデザイナーが巨匠気取りで
「いかに無茶を実現させるか」みたいなところがあった。
未だにそれは残っていて、そこが
「デザイナーがかかわると思いつきで金のかかることばかりやる」と
思われてしまっている。

●一方ジャスパーモリソン経由深沢さん以降は
「技術の良さを活かして作り手とデザイナーが一緒に作り上げる」
「売れる、目立つが第一ではなく使う場をイメージしてデザインする」のが良いデザイン
と、ちゃんと若いひとは吸収している。
という気がします。ただそれだとみんな「個性の見えにくい豆腐みたいなデザイン」になってしまう

で、
上のふたつの間でいろんな解釈、バリエーションがあっていいんじゃないか
(トード・ボーンチェやマルセル・ワンダースはそういうスタンスではないか)

というところで、宮本さんの話は
「多様性、幅があるのがいい」というところが共感できたし、
80年代ライブじゃない35歳以下の人もネガティブには感じてなかったんじゃないかなと思った。



**********************
2:以下の報道について感じたこと。
国民生活センターは、ひもの先に球状の飾りが付いている子供用ブーツが、歩いているうちに左右の飾りが絡まって転倒する恐れがあるとして、注意を呼びかけている。 
 国民生活センターによると、去年11月に小学4年の女児が転倒し、ひざなどを打撲したという。国民生活センターは、飾りがエスカレーターなどに引っかかり、事故につながる可能性もあるとして、「デザインだけにとらわれない商品選びも必要」と注意を呼びかけている。
 子供用の靴については安全のためのガイドラインが定められていない。」



このブーツふにゃふにゃしてて歩きにくそうな上に、よけいにからまりやすいみたい。それにしても、メーカーが作るとき/親が買うときに気がつかないのかな。そもそも作るときの配慮がない。いかにもエスカレーターに巻き込まれそうで、ドタドタ歩きになってすぐスポンと脱げそうな靴だ。 子供には親が買い与えて正しい商品の選び方を教えてあげてほしい。


「かわいー」だけで靴みたいな機能品を作るな、買うな。 こんなことがニュースになるくらい売れてるのかと思うとトホホだ。 

それに対する国民生活センターのコメント(として報道されている言葉が)すごくアバウトな言葉だよね。
なんつーか、言葉も商品も一人歩きするものなのに、すべてがアバウト過ぎる・・

2010年3月3日水曜日

読了レビュー100303

「いき」の構造
はい、名著です。今まで読まずにほったらかしてました。でも自分の覚えている日本語の意味が正しいのか確認しようと思った。自分が作りたいモノはどんなものか、一言で言えるように言葉探しのために読んでみた。

大正時代の文なので難解な言い回しがあるけど、情緒的なことを流されずに並列に分析して書こうとしている姿勢は現代よりもストイックだ。例として挙げている色、柄合わせ/文例/節回しもわかる人にはツーカーの的確なんだと思う。
意気/野暮//甘み/渋み//上品/下品//派手/地味 軸の直方体の図はなるほど日本語を使う人じゃないとわからないだろう。フランス語の対応語もニュアンスがわかって面白い。冷徹に線引きしているのにデリケートだ。こういう日本語忘れていたな、と思う言葉が多々出てきた。
他2篇の「風流に関する一考察「情緒の系図」にも四面体や相関図が作られていて、なるほど。

現代の快適/スピード感/便利/ノリがいい/新しい の価値観にははまらない、普遍の情緒/美意識に気持ちが向けられる。

2010年3月1日月曜日

twitter


つぶやくって?と思ったが、やっているうちにかけあいになると面白い。あの音楽はなんだっけ?なんじゃこの記事は?週末どこ行く?
私がフォローしている人はクライミング系とデザイン系。少なめにして携帯でも遡りが楽なようにしている。
身軽でクイック、流れがどんどんできて、並行して別の話の流れもできていく。軽い文章だから両方見れる。
見てるとずーっと見なくてはならないのでほどほどに。mixiより中毒害が大きいかも。

富士通の調べでは10代がメインターゲットとなっているが、そうかなあ。勤め人も結構tweetしている、仕事はどうしてるんだ。有名人をフォローしてる人が多い、って宇宙飛行士若田さんの宇宙写真が美しい。

前に年賀状で使った鳥獣戯画クライミングの図をオットがふとアップしたら、どんどんRTして、調子に乗ってTシャツや手ぬぐいに合成したら、買う買うと広がって・・手ぬぐいを作ってみることになった。これもネット発注。ライブで画像を作ってtwitterにアップして1分後にはRTされるという、なかなか刺激的な体験を共有した。

デザインのひとは告知な使い方とか発信方向の傾向があるのか、ちょっと重め。でも原研哉さんのtweetはストレートで示唆に富んでいてさすがだ。
140文字でも結構伝わるもんだなあ。短歌よりは書ける。

moviti_noriでtweetしてます。