2010年3月15日月曜日
サステナブルデザイン会議3/13感想
http://www.sustainabledesign.jp/@桑沢1Fホール
備忘録的に聞いたこと感じたことを箇条書き。以下:
●はじめに
○サステナブルデザイン会議は99年エコプロダクツ展(通産省)会場での開催がはじまり、今回で4回目。今回はtwitterなど新しい告知で「初めて聴きに来た」ヒトが多いようだ。
1st:サステナブルデザインの定義(その場では結論出ず)
2nd:日本での方向性プラン(環境サミットへアクション絵巻を提示)
3rd:具体的アクション(グリーンピース代表の方などの講演)
4th(今回):現在の再確認
○実行委員の益田さんから東大の山本先生のご紹介&山本先生から地球環境の"現状"の10分報告。先生によると
・2016年をチッピングポイントとして(最後のチャンスという意味?)現状のままでは本当に生命圏の危機が来る。2060年平均気温が4度上がるのを2度に抑えよう、というのがコペンハーゲンでの合意、これは"地球的規模で環境管理しようという"革命的意味がある。
・A:今からコントロールして気温上昇を抑えるかB:やばくなったら強制的に気温を冷却するか(すでに研究実験進行中)B案には基本的に反対です。
●アレックス・カー氏講演
日本在住30年、80年代からの日本の都市/地方開発を体感し見てきた米/英にスタンスのあるヒト。
著書「鬼と犬」の由来は韓非子の「絵を描くのに(犬猫のように)身近なものを描くのが難しい、(鬼のように)空想のおどろおどろしいものを描くのは簡単」という言葉から。この語は白須正子の家の前にもあった。
以下のことを沢山の写真で解説。
○日本は観光産業を軽く見過ぎている○日本の土木開発は25年前のまま○京都は京都が嫌いどす→日本は日本が嫌いどす○護岸工事、地方の道路工事、地方の町おこしホール(有名建築家の仕事含め)名前に"ゆめ"とか"ふれあい"とかつけた施設がいかに地元にマッチしないで唐突に「びっくりさせる」意匠であるか○古い=古くさい、新しくきれいにする=コンクリ固めを25年続けてきた日本○先進国で電線埋設をしていない(引き算の事業)のは日本だけ。ブレードランナーのような独特の面白さがなくはないが、これでいいのか?○少しの配慮で地方の景観を邪魔をしないことは可能○地方だけでなく都市のプランも魅力が無い、上海のプラン模型と日本のプラン模型との比較○現代日本の家、看板○感覚麻痺、"茹で蛙"の例え○日本本来の"なんでもない魅力。"歴史/教養/文化/知識○確かに古い家は汚くて不便で住めない、見えない部分で現代にマッチするように補強して、本来の姿に戻して快適にする○海外資本=世界基準の観光で開発されているニセコは注目。これで日本の観光施設の底上げが期待できる○こういうこと、ジャパノロジー研究のプロには"ブラックリストに載る"ことを恐れて発表できない、自分はもともとそんな会議に呼ばれてないから思い切って書いた。○でも実は国土庁内のヒトも「鬼と犬」は読んでいて、問題意識は感じているようだ、そこはまだ捨てたもんじゃなさそう。
ユーモアとシニカルで思わず笑ったり共感したり、でも悔しかった。そんなことわかってらいと思った、京都とかは抗議活動が頻繁に起きていることとか言いたかった。が、自分も写真を撮るときに無意識にコンクリや看板や電線を構図から外して見て見ぬふりをしていたので、感覚麻痺の同罪と思った。みんな〜このヒトの話を聞く機会を持つべきだぞ。日本人が後ろめたい「おかみのエライヒトが言ってるから仕方ない」と諦めて、サブカル視点で気持ちを誤魔化してることは、ちゃんと世界はお見通しだぞ。
●熊野英介氏講演
アミタ株式会社代表取締役、自分の信念を森林放牧による自然な牛乳の販売などを通して表現活動してはるヒト。
○今後はものつくりに制約条件が多くなる○石油1兆バレル=琵琶湖6杯しかない○知識/五感/抽象の体感○共感(エンパシー)○ゆたかな時間、ゆたかな関係○情報を再編集する○大局着眼小局着手:日本人は適応力は世界一、戦略無しの戦術でアクションを起こしていいんじゃないのか○現在の日本のモノは合理的、効率的。これからはもう一歩踏み込んで極めると精神が宿る、メディアになる○価値生産には知恵と助走が必要、これには固定費がかかる。でも今はweb上で上質な情報が無料で入手できる。○社会的欲求はコアコンピダンスが複数化する、一人勝ち囲い込みにならずに、いろんなヒトに参加してもらう、巻き込む○簡単に成功することは簡単に真似される、資本競争に巻き込まれる。
デザインのヒトではない、むしろ経済活動を突き詰めて考えると付加価値の元として「共感、五感、記憶」のような情緒的なキーワードになったのが説得力。言葉のラッシュ、スキンヘッドで引き締まった体躯、現場主義のわが道社長エネルギー。
●黒崎輝男氏講演
tokyo famousなIDEE、デザイナーズブロック、Rプロジェクト、自由大学、世田谷ものづくり学校のヒト。
○すべてのヒト、全てのモノはどうせ死ぬ、壊れる、いなくなる。○20年毎に立て直す伊勢神宮:壊すのを前提にした建物○ヒトと知り合うと仕事、年収をあれこれ言うのは変、どこかに所属してない"ニート"で何が悪い、自由に自信を持とう○ホームレスのヒトも知識があったり巧みに生きている。ハウスレスだがホームが無いのではない。ホームは帰る場所/ハウスは物理的な家。一方家があってもローンは残り、家に居場所の無いヒトもいる。○幸せな概念と幻想の為に一生が終わってしまうヒトも多いでしょう○数字を伸ばすことは嬉しいけど目的にしてはいけない○誰でも逃げ込める鎮守の森、逃げ込める場所を作ろう、知の逃げ場所は"いい加減"→自由大学○服も金属も石油も今の余剰分で10年すごすことができる○第二の資源が都市に眠っている:ゴミじゃない、資源である○きれいなモノを大事にしよう
なんだろう、共感できる言葉はいっぱいあるんだけど、まるっとオナカに入らない。いろんなことを沢山言いたくて繋がりがなく中途半端に感じるからかなあ。でもその気持ちの状態自体はすごく自分がなりがちなのだ。
●西村佳哲氏講演
「自分の仕事をつくる」を書いた私と同い年のヒト。
○まず「自分を生きる」で客席隣同士5分ディスカッション○サステナブルよりもいのち。持続することよりも生命力があることが大事。賢さよりも生きてる実感があることが大事。○デザインに"夢"を持ちたい。でも"デザイン"という言葉で自分が捉えたいことが捉えられなくなってきた。「いいデザイン」より「いい仕事」より"イノチ"が入っている働き。○デザインのアウトプット、お客様に触れているのは氷山の一角、下にはどーんとでかい塊がある。○【デザインすること】は三層構造。上から知識・技術/価値観・考え方/あり方、存在○情報化が進みすぎて自分が何を感じているのかわからないうちに、ヒトが考えたことが押し寄せてくる。よその情報に敏感になるより、自分の深いところのざわつきに敏感になろう○オナカにある"実感"が大事、頭にある"思考"が肥大化するとおかしくなる。オナカにある実感/欲求は自然現象、だから限界があるのは当然。○【デザインすること】の三層、特に一番底の"あり方/存在、感じていること/実感"層が上2層と剥がれてくると感情喪失、抑圧となっていく○なんのためのデザイン?なんのための力?力はただの力に過ぎない。デザイナーは愛しているモノがいっぱいある、この力で居場所が欲しい。でもこの思いが強すぎると足下をすくわれる、利用されてしまう。身の丈以上に見せるデザインはヒトのココロを壊す。○職能には価値は無い、結果がサステナビリティ。自分が本当に信じているか、愛しているか、自分の実感を大切にしているか〜自分を生きる/サステナビリティ。
今の時代に出てくるべくして出てきたヒトだ。プレゼンテクニック、というにはあまりに自分の心を削って言葉を選び表現する誠意がビンビン伝わってくる。深く深くココロを掘り下げるヒト、自分の気持ちと親和性が高くてじんじん滲みてくる。一見癒し系だが、判断はあまりにも自然の摂理のようにシビアだ。
●最後に
益田先生はカーさんと「サステナブルデザイン」てなんかしっくりこないな、という点で気があったと言っていた。【無理がある】の反対語=無理がない、の意味でサステナブルという言葉を選んだが、持続可能、というのがしっくりこない。でも無理がない=easyをあてるのもなんだしなあ。という"とてもデザイナーが集まる場でありがちな"オチがついていた。
●個人的感想
自分が感じていた【サステナブルデザインて何だろう】という疑問に4人のヒトがそれぞれ違うアプローチで講演していた。環境、エコ/経済活動として/ヒトとして【サステナブル】を考える。当たり前だが、忙しいにかまけて目を反らしたりもやっとした不整合な部分を脇に置いといたりしてしまいがち。自分の疑問が間違ってなかった、自分の感じていることは間違ってなかった。だから自分で不整合/不明瞭の部分は考えて、力としての美的センスはその表現として伸ばすこと。
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