後藤さん:旭川出身40歳。大学(秋田)の専攻はまったく木工と関係なし。大学生活で旭川を離れて逆に旭川の良さに気づき、旭川で就職=市職員になろう。
配属がなぜか(お父様が地元の大工をしてたからか?)工芸センターだった。
そのときまで工芸センターの存在すら知らなかった。
一応事務職だったのだが地元の職人さんにノミやらカンナやらの研ぎ方まで伝授され、技術職に転向。以後17年間工芸センター勤務。
現在は主にNC加工、各メーカーで製造困難な部材を請け負う。デザイナーが来たら工房案内をして知ってもらう。
そこまで行政がやることなのかどうかと思うんですが、とよく言われると自分で言っていた。
熱血系ではなく、感じのいいノリのいい田舎の人って感じです。細くて黒縁メガネかけてる。
旭川のメーカーも「デザインして自分で作る」作家気質の人が多いと言っていた。
●工芸センターの役割として地元メーカーの実態調査を実施。家具建具は毎年、クラフトは2年に一回。
生産額、取引先、課題などを調査。だんだんそのうちに地元メーカーさんとの信頼が築かれる。
●2000年頃から2代目若手がメーカーを継ぐor後継者なく廃業現象が目に付く。
2003年に10年プラン立案し、地元メーカーの産業振興。
そもそも行政の役割は1年プラン、短期的成果だけど、それでは続かない。
予算ありきではなくこれをしたいから、と国から補助金をもらうことも。
それもゆくゆくは補助金なし企業に負担してもらう体質に切り替えるという理念を実施。
・2003-2005年:リーダー企業を育てよう
メーカーの若手2代目10人ほどと一緒にデザインパイロット事業、商品開発を率先して行う。後藤さん自ら試作する。無駄も多かった。企業も商品開発を行い展示会。
・2006年:ベテランも巻き込み、熊本(木製品志向が強い)で展示会。
・2007年:Mickle結成、12工房の12人、2代目や若手中心。100%補助金。今の旭川の新製品はMIckleが中心。実際のところ1代目と2代目の考え方のギャップなどあるのだけれど、それも取り持つ。
東京から日野明子さん(http://
数人のデザイナーのポートフォリオからメーカーが「この人と仕事したい」と選んだ大治さん、小野里奈さんと商品開発。自分達で食事の食器に自分達の商品を使ってみる体験。ギフトショーで「旭川クラフト改造計画」の名義で複数メーカーワンブースで出展。旭川のアピールは成功したと実感したが、個々のメーカーの売り上げにはばらつきがありフラストレーション。
・2008年:旭川工芸ブランディング事業。個々と全体を見せる展示を自分達でやってみる。売りたい/見せたい方向性を実感する。
旭川クラフト協議会のサイト立ち上げ。http://
更新は今は工芸センターで行う。ゆくゆくはメーカーでやってもらいたい。
・2009年:旭川クラフトクリエイティブマーケティング事業 半分補助金半分メーカー負担。青山RINで展示会。2010年2月ギフトショー出展。他商品開発・流通セミナーを開催。
・2009年:萩原修さんをセミナーで呼んだとき、前日みんなで呑んでいるときに修さんがぽこっと木工キャンプのアイデアを発言。翌日のセミナーで実施の可否を募ったらみんなノッてきたので半年で実施。ほんとに集まるのか?と思ったら集まって良かった。参加費でまかない補助金はなし。
1回目は2日で13工房を巡る+森の間伐(植林ではなく、木材を育てるには間伐が大事)強行軍。
送迎のクルマはMickleメンバーメインでそれぞれの自家用車、車内という空間での連帯感、結束がつよくなる。
東京から30名、北海道から70名のジンギスカンパーティ。
2回目には見学工房数を減らし3回目は工芸センターでのワークショップを実施。旭川の人が旭川の木工を買わないことに問題意識、木工キャンプ中はショップにデザイナーの商品を置いたり、
来年度は旭川市街の飲食店で木工の器を使ってもらう活動を行う予定。
AMCC(旭川木工コミュニティキャンプ)のMはもり/まち/もの のMとかけている。
これらの活動をしても廃業数は増えたり売り上げは落ちているのが産業衰退、結果につながってないとも見えるのだけど
もしやってなかったらこの右肩下がりはさらに急降下だっただろう、ということにしている。
片山の感想;始めに分析して目標イメージを作っている。
いきあたりばったりの結果オーライのようだけど、ちゃんと呼び込んだり自分がまず動いてドライブをかけているのがすごい。
ちゃんと成果が売り上げという数字以外でも分析されており、それを行政に伝えているから続いてる。
詳しく語られなかったが、お金の使い方のコントロールが絶妙。後藤さんの立場&人柄だからできることを結果的に収斂させている。
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